本間新一

解説まとめ『ザ・マスターキー』第11章

前回の記事

イデアとは

11章です。引用が主となります。

まずはプラトンの「現実とはイデアの写しである」という記述(16)から。 Wikiの説明文を引用すると、

プラトンは、イデアという言葉で、われわれの肉眼に見える形ではなく、 言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、 つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」に言及する。

我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、 その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に 押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、 以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。

だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、 その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。 このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、 かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、 真に認識することになる。[哲学 キーワード事典]

と書かれております。

何のことか分からない人が多いかと思いますが、 要するに「五感で認識できない何か」があってそれがイデアである、 五感で認識できる対象の中にイデアを見出し、 そして自分自身の中にもイデアを見出したときが、 その対象を真に認識したことになる、ということなのでしょう。

『ニューアース』でも花や鉱石の美しさが云々と書かれておりました。

まぁ、だから何だという話ですが、単なる引き寄せや現世利益以上のことを求める人は、 覚えておいて損はないでしょう。

ワンネスとエゴと聖書

イデアについては以上で、この章で重要なのは17。

前半の「一見つながりがないようにみえる物事も、見えない次元でつながっている」 は、「風が吹けば桶屋が儲かる」レベルではない繋がり、ワンネス的な繋がりのことで、 ひいては自分自身もその繋がりの一部だということです。

なので例えば対人関係なら、美人でもブスでも、金持ちでも乞食でも同様に接するのが 「本当にマトモな」人間のすることなのですが、それができないのは私たちの意識が エゴに邪魔されているから、しかも潜在意識レベルで汚染されているからであります。 (唯識でいうところの末那識)

対策としては、まずは自分の意識が汚染されていること、邪魔をしているエゴの存在に 気付くことから始めるしかないでしょう。 (エゴを消せとか殲滅せよと言っているのではないことに注意)

まぁこれも、引き寄せとか現世利益以上のことを求める人がやることかもしれませんが、 結果的には引き寄せの出来不出来に 大いに関わってくると私は思っております。

最後に、17後半のイエス・キリストの言葉ですが、引き寄せの本質が書かれているので、 引き寄せ云々の本を何種類も読むよりもこの箇所を100回読んだ方が よほど効果的だと思うので、前後含めて以下に記述しておきます。

ちなみにこの箇所は、イエスが過越祭のときに神殿で暴れた後の話。 (過越祭は日本の正月みたいなもので、大掃除をやったり特別な料理を作ったりする。 神殿は現在の嘆きの壁)

「はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい”立ち上がって海に飛び込め”と言い、 少しも疑わず、自分の言う通りになると信じるならば、その通りになる。

だから言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。 そうすれば、その通りになる。

また、立って祈るとき、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。 そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。 もし赦さないなら、天の父もあなたがたの過ちを絶対に許さないよ」

というわけで、聖書にも載っているように「山が海に飛び込んで当然」と思えるくらいになれば 引き寄せなんて簡単な話なのですが、少なくとも私はなかなかそういう風に思えない。

だからワンネスだのエゴへの気付きだのワンネスだの、色々やってそういう風に思うことへの 抵抗や障害といったものを取り除いている最中でございます。

12章に続く>>

内面世界で効果あったもの

能力をアップさせて、現状を打開する

メニューに戻る>>